ハルオノート

ちらうら。技術系だけど草稿だから信頼性はないよ。よろしくね。

twitterとの付き合い方を考える

そういえばこのテーマを書きたいと思っていたのだ。だめなツイッターユーザーはTLを下に下って、あるところまで来たら上に登って行って、それを繰り返している。それをマネタイズに結び付けたら、とまでは言わないけれどその時間でコーディングができたらどれだけ充実するだろうと思うのだ。

自分は友達に勧められてtwitterを始めた人間だが、facebookやLinkedIn、マストドンなど他のSNSをやる気にはならない。twitterの公私混同感、そう!、公私混同感がパないのだ。twitterで政治論議をしてなんか扇動家になった気になる、twitterでフォロバからたくさんいいねをもらって友達連携取れてる感に浸る、twitterで3, 4桁のいいね、RTをもらって有名人になったような気になる、twitterトランプ大統領もお気に入りの頭の悪いメディアだ。

twitterは言ったもん勝ち、より悪い悪口を言えばもてはやされる。twittertwitterランドと呼ばれるのはもうそういったでたらめなところが大きいように思う。twitterは有名人を引きづりおろすのにもよくつかわれる。日本の政治家もtwitterの発言が炎上して問題になることが多い。まさに公私混同だ。

しかし、たいていの人間は凡人だし、自己肯定感が低いし、twitterに依存しちゃうのは納得できる。だからと言ってそれを放置しちゃうと、それはそれでどうなのかと思うのだ。楽しけりゃいいじゃん、って思えるのは10代か、せいぜい20代までだな。なんか悟って「楽しけりゃいいじゃん」というダメな大人もいる。そういうオジサンがいうその言葉は若者が言う同じ言葉とは違うニュアンスが含まれている。覚悟のある堕落なのだ。例えば、歳をとってもタバコや酒がやめられない人はそれほど多くはないがいる。そしてその人は命を賭して自分のやりたい自堕落をやるのだ。それが悪魔だと知りながら悪魔と口づけを交わすような。

だから、ダメな自分を100%捨てるというのは結構難しいのだ。明確な動機がなければなおのことだろう。だけど漠然と自堕落に溺れる自分にも恐怖する。漫然と生きていたとしても気づいてしまうのだ。自分の末路というものに。だから、「twitterとの付き合い方を考える」ことが必要なのだ。

私はtwitterで情報収集をするのはあまりよいことではないのかなと思う。私はロイターのtwitterアカウントをフォローしているが、ロイターの扇動的なタイトルと、同じ記事を何度も掲載するという姿勢はいかがなものかと思う。twitterに見せるメディアの顔は様々な切り口の中でも醜悪なものかもしれない。だからtwitterで情報収集をするのはやめよう。メディアをチェックしたければ他のニュースアプリを閲覧しよう。

twitterで面白いことをつぶやいて衆目を集めようとするのはやめよう。それはみんなやってることだし陳腐化している手法なので成功する日は遠いだろう。素直な気持ちをつぶやいてもいいけど、いいねやRTを期待するのはやめよう。みんなtwitterでは悪口を言いたがっているのだ。だれかを非難したがっているのだ。あなたのツイートがそのターゲットになるかもしれない。

twitterで悪口を言いまくっている人を憎むのはやめよう。日常生活では悪口をいうことを封じられているのだ。だから悪口を言う場が必要なのだ。それがたまたまtwitterだったというだけの話だ。

なんか自分、偉ぶっているようだけど、そんな大したもんじゃないです。自戒の気持ちをここに表明しているだけです。ただの反省文なのです。